2012年10月17日水曜日

アグリカルチャーショー2012


先週はミゴリで木~土曜までアグリカルチャーショーがありました。
キスムのとは違い半日ですべてのスタンドを回れるくらいの規模です。
去年は配属先とやりましたが、今年はUPESIグループと。
配属先にも一応挨拶にいき、再会を喜んでくれる人もいれば、いつものようにやる気のない感じで挨拶する人もいて。
前マネージャーが異動になり新しい人がきてるのは知ってましたが、ここで初挨拶(笑)
やっぱりこの配属先は変わってないなぁ・・・
大豆の活動なんて相変わらず全く進んでないし、私に対しては「早くマーケットを見つけてくれ」の一点。
協力してやってこうとかなくて、何か本当無理。私欲の塊・・・すいません、ほんと嫌い。

そんなこんなで毎日雨降りましたが、アグリカルチャーショーは終わりました。
毎夜たくさんの人がショーグラウンドのディスコに集い長い夜は続きます。そしてグループの人たちは毎日泊まりで夜も働きます。すごいなぁ・・・

ブースの他に農作物や編み物、などなど提出し、農業省がその中から分野ごとに1~3位選ぶコンペもやっていて
グループは28品を出展。(大豆商品からアクセサリー、Fireless cookerなど)
3つは2位、それ以外は1位という好成績!
賞金も1位のものには70シル(70円くらい)2位には50シルもらえるみたいなのですが
まだもらえてません。
去年も4000シルもらうはずが1000シルしかもらえなかったそう。
さすが汚職の国ですね。


2012年9月16日日曜日

またまたおひさしぶりです

ブログを書くのは何か月ぶりでしょうか。
私はやはり継続というものが苦手です。。。

前回何を書いたかも忘れました。今回は今活動について思う事を書いてみたいと思います。

ケニアに来たのが2011年6月28日、任地のミゴリに配属されたのが8月10日。ケニアにきてもう1年2ヶ月ちょっと。残り10カ月弱。・・・・なんだかんだ早いですね(汗)

大統領選挙が3月初めにあり、JICAボランティアはその2週間前からナイロビホテルへの避難が始まり、情勢によって1週間、2週間~1ヶ月のホテル缶詰め状態に入ります。なので3月はないものと考えた方がいい。しかも前回のようなシビアな情勢になった場合、日本に一時帰国または帰国の可能性もあるのです。なので残り期間、活動を一度しめるかんじで仕事の引き継ぎやら家の片づけをしていかなければいけません。避難の時はスーツケース1個と手荷物1個だけなので大変です。。。どれをもっていこう。以上プチ情報でした。

今年6月末に中間報告会があり、これまでの活動を発表しました。私は5月から配属先に行ってません。といっても配属先本部との関係は続けたいと考えているのですが。本配属先である支店には行ってません。仕事ないから。なのでUPESIグループ一本です。グループ自体も収入が今では4倍に上がり、お店や家の家賃など払いものが翌月まで待って状態からその月内に支払えるようになりいくらか貯金もできる状態にまでなりました。大豆活動に関しても配属先で働いていたら無理だったであろう、多くの人に大豆を知ってもらえ大豆農家を増やすことに貢献できました。・・・はい、そんだけです。1年以上いてこんなんです。まだまだできただろうって自分でも思います。自分にもっと経験や知識があれば・・・めんどくさがりな性格でなければ・・・この1年と2カ月でこれでもかというほど自分と向き合え、自分がどういう人間なのかがわかりました。

1年立った時点で急に帰国した後のことを考えることが多くなりました。これは他の同期もそうなんですが。考えれば考えるほど不安になります。結婚しちゃって専業主婦になっちゃえば簡単なんですが、生活大変じゃし働かんといけんじゃろー!それに飽き性だから家にずっとおるのも飽きるわー!ってことで仕事がしたい。さて・・・何をしよう?来る前は食品会社で営業と管理をやっていました。帰国しても食品関係の会社で働きたい。営業事務の仕事があればやりたいなぁ~こう考えるだけでも何か楽しくなってきた☆し・か・し、現実はそう甘くないでしょう。周りの帰国した先輩隊員たちは早いとこ仕事見つける人もいれば、1年前に帰国したのにまだ無職の人も。私はどの枠に入るのか・・・早く仕事みつけて結婚して子供産んでってしたい。私は協力隊のくせに安定した生活がいいです(笑)まぁ、それも飽きちゃうから海外にいきたくなるんだけれど。

だらだらと書いてしまいましたが、活動の話に戻します。活動の現状はといいますと、ボランティアのくせに一つのグループだけの支援になってるんじゃないか日々これでいいのかと考えながらやっています。最近はピースコー(アメリカ版JICA)のボランティアとキスムにあるNGOと一緒に大豆を輸出しようという計画を立てています。これは本当に壮大な1年弱でできるん?っていう計画なんですが、すごくやる気なボランティアで、一緒にやれるとこまでやってみるかー!と思いやっています。まずは輸出先を探すところからなんですが、色々と頑張っています。難しいでしょうけど、やらないよりはやってみようということで。。。もし大豆を必要としている会社、団体、NGOなどコネクションがある方ご連絡お待ちしています!






2012年7月23日月曜日

キスムショー

配属先のブース前にて。
いっぱい作りました



月曜から土曜までキスムという大きな町でAgriculture showにUPESIグループと参加してきました。Agriculture showはミゴリでも毎年12月にあって去年参加したんですが、キスムは驚くほど規模がでかかった!配属先も出店してたんですがかなりのお金を使ってるんだなっていうのがわかりました。小さな噴水まであるし、池もあるし、畑もあるし・・・私たち(私とグループリーダー)は作物のValue additionブースの一つとして大豆製品の紹介をするために呼ばれました。他にバナナの皮製品、はちみつ、ピーナッツもありましたよ。配属先以外にも砂糖や小麦粉、牛乳の会社、銀行、サッカースタジアム、簡易遊園地、ディスコ、・・・時間なくてあまり回れず詳しくは知りません・・・とにかくいっぱい。まぁ~朝から晩まで働きました。売上もすごかったです。大きな段ボールいっぱいに詰め込んで持って行った商品完売しました!キスムに来る2日間これまた早朝から晩遅くまで作ってパッキングして全部売れるのか?って思ってたんですけど、みんな興味をもってくれて驚いてくれて行って良かった☆死ぬほど疲れましたけど・・・


なぜ今回ずっと行ってなかった配属先からこんなオファーがあったかというと、きっかけは配属先本部に出したレポートでした。任地の配属先支店では仕事がなく、でも家をずっと改装してくれててもうすぐ終わりそうなんですけど、女性グループがいるタウンからかなり遠いしはっきり言って住みたくない。調整員が配属先本部に話にいくのでレポート(今こんなことしてるからタウンに住んだほうがいいんだと説得するため)を書いたんです。そしたら配属先本部のトップがすごく活動を気に入ってくれまして。ぜひキスムショーにきてほしい、オーブンとかもなんでも買ってやるよー、ついでに新聞に記事を載せたいということになりました。新聞も最初地元の新聞かなと思っていたらSTANDARDという全国紙!どんだけ金もってるん!キスムショーの間に載せたいという事で新聞記者もミゴリまできてくれ取材。配属先特集みたいな感じで新聞に載ってました。これがまぁおおげさに書かれてて女性グループのことも書かれてないし。JICAはJicaになってるし、私はボランティアじゃなく『大使随行員』になってるし。でも次の日も新聞にのっていてこっちの分はちゃんとミゴリで撮ったグループとの写真がのっていて1ページまるまる大豆特集みたいな感じで活動のことを詳しく書かれてあるようでした。しかし時間がなくてどちらの新聞も買えませんでした・・・

 

配属先に対してはまだ不信感は残りますが(配属先支店でのこともあるし、新聞でうそ書くし、今回手当は出たけどホテルの手配とかなくケニア人職員の家に居候。楽しかったけれど、最初は相手仕方なく泊めてあげるみたいな感じでしたもん)今回ショーと新聞を通してたくさんの人に大豆とUPESIグループを知ってもらえたことはすごくありがたい。このショーのことについてレポートを書いて配属先本部に提出する予定。成果を見てもらえればまた何かに大きく進展するかも・・・そんな期待を胸にまだまだがんばってみよう。

2012年6月3日日曜日

新商品はパン

今までケーキやクッキーは作ってきたけど、パンは作ろうと思いながら作ってなかった。

もともとお菓子作りが得意でない私にとってめんどくさいというイメージがあったから。

でも今週つくってみました。新しいことがしたくて。

バターロール、シナモンロール(豆乳入り)、豆乳パン、スコーン(豆乳入り)、メロンパン。

日本にある白いパン、あのやわらかいやつはケニア人に不評で、

白いパン=焼けてないっていうイメージらしく「えっ」ってなる。

そして基本堅く歯ごたえがあるほうが好きみたい。

バターロールは歯ごたえがあって好評。

スコーンは甘くてみんな大好き。

でも砂糖が高いため利益なし。

そこでメロンパンを作ってみた。ケニア人大好きなフードカラーを使って。

そしたら即完売。

昨日もメロンパン15個、バターロール30個、黄な粉クッキー25個作ってクッキー以外は一晩で完売。

パン作りもどんどんうまくなり、作れば売れる。

少しの粉でもイースト菌で大きさ4倍にはなるし。

油使わないから原価低くていけるし、健康的。

ケニア人はなんでも油にあげる(魚、マンダジ、チャパティーなど)。

前にフレンチトーストを振舞ったらオリジナルなフレンチトーストならぬトースティ・ヤ・マヤイ(卵トースト)を作ってたな。

トーストを小麦粉とフードカラーと水をとかしたものにつけ油で揚げるという。。。なんでも油で揚げりゃいいってもんじゃない!と思ったけど。

大豆&健康をプロモーションしている私にとってもマンダジよりパンを食べてほしい。

パンを食べたからって健康にはなりませんが・・・油で揚げてないから。

あと、ケーキやマンダジ売るより利益大きいしなぁ!

1個原価4.2シルくらいで売価10シル。

前にミゴリから1時間の町から来てたお客さんがたまたま食べておいしかったからってまた来てくれたし。

田舎にはおいしいものが少ないから、誰でもおいしいもの食べたいんだなって思って嬉しかった。

パンはお店で買う食パン以外ミゴリでは売ってないし。

ケニア人は味に保守的で新しいものはなかなか受け入れてもらえない。

でも一度受け入れてもらえたらずっとあきずに食べてる。

そんな食べ物の一つになればな・・・なんて。

この前グループがWomen Enterprise Fundの審査に通って47,000シル借りられることになったんだけど、

私がこの間配属先でプレゼンした内容を尊重してくれ

「店資金」「学校資金」「改良かまど資金」「メンバーの商売資金」にあてられることに。

お金があれば今までできなかった活動ができるので楽しみ。

メンバーもパンを食べたお客さんたちの反応をみて、利益がほとんどないマンダジをやめてパンを本格的に始めたいってやる気満々。もちろん従来の大豆商品もつねにストックがあるようにしたいねって話もあった。

色んなパンを作って(もちろん豆乳や大豆粉を使ったものも)、クッキー、ケーキも作ってちょっとしたベーカリーにしたいなぁ。キオスク、ホテル、病院、学校にそれらや豆乳を卸したり・・・軌道にやっと乗ってきた感じなのでまだまだこれからですが。店が繁盛したら学校に行くお金がなくぶらぶらしてる子らを学校に通わせたい。あのアティエンみたいに(前にブログでかいた、保護した女の子)。学校行けば教育と食事にありつけますし。グループが同じ考えっていうのが大きい。

2012年5月25日金曜日

自分がいかに無力かということ

あと1ヶ月でケニアに来て1年になります。
長くも短くもなく、1年だなって感想です。充実してたと思います。まだあと1ヶ月ありますが。

配属先でまったく仕事がなかったのには正直びっくりしました。
配属先とうまくいってる同期の話を聞いたり、ブログを読むと、うらやましかったり、もしかして自分の力不足なのだろうかとへこんだり悩んだり。でも先輩隊員から言われたのは「人と比べたらダメ」。本当そうです。それに要請内容、配属地域、働く民族・全然働かない民族・・・・・スタートラインはそっからもう違う。
ちなみにミゴリの大半を占めるルオ族はまー働かない(笑)でも愛すべき民族。陽気、気さく。朝仕事に向かってると知らないバイクのお兄ちゃんから「I love you---!!」とか言われたり。いやー笑った。そんなことが多くて意外に落ち込んでるとき彼らの言葉は励みになる。

私の場合、今は配属先ではなく女性グループと行動していますが、それはそれで楽しくてやりがいあっていいんですけど、時々ちゃんと住民のことを考えている配属先である程度資金のあるところならなーと無理なことを考える。例えば子供たちを支援しているNGOだったり。そしたらもっと何かしてあげれたのに。今は配属先にもある意味属してない、ただ一人のボランティアで、よく無力さを感じる。協力隊ってお金がない中自分でなんとかするものだけど、やっぱお金があれば何でもできる。どうしようもない人がどうしようもないことをするのに使うのはNOだけど、UPESIグループは違う、与えるにふさわしい人だと長いこと一緒にいてわかった。グループリーダーのAliceは本当に素晴らしい人。今日改めて思った。

一昨日こんなことがありました。
2日続けて知らないぼろの服着た子供(3歳の女の子と5歳の男の子)が店の前にずーっとたってたんです。グループのメンバーが彼らの家を知ってるということでAliceが様子を見に行ってくれ、私は学校が終わって合流。聞くと家には1歳半の子供が放置され外で泣いている、母親はレストランで仕事、夜は色んな男と遊んでいる、父親は強盗で今刑務所に入っている。。。家にも行ってみましたが、土でできた家はマットレスもなく地面にシーツが引かれた場所以外物もなく、しかも部屋の中は魚のようなくさい、衛生的に最悪な状況。この周辺には行ったことなかったから初めて知った。この地域が盗みが多くミゴリで一番危険という理由がわかったような気がした。地域の問題を担当するチーフに相談すると母親と子供たちは呼び出され、事情聴取と説教3時間。こんな状況でも「結婚しないか?」とかアホ言ってくるチーフ・・・「子供日本に連れて帰ったら?」と言われ、返答に困る。近所のおばちゃんたちも子供の世話をみないこの母親をバチーンバチーンとおもいっきりたたきまくってた。近くに子供いるのに・・・子供は無反応だったけど(お母さんをいじめないで~っていう反応を創造してたけど)。その後Ministry of children&Educationのオフィスに行き、2時間ほど待ち、そしてこの母親の処分について協議。お店に帰ったのは17時すぎ。めっちゃ疲れたなぁ・・・結局毎週オフィスに行ってレポートするということに。

次の日3歳の女の子はまたお店にきてた。でも服装が前と違ってきれいになってたから、お母さんもやればできるじゃん!一緒に皿洗いしたりチップス食べて笑顔もみせてくれるようになった。最初の頃は警戒してて全然笑わんかったけど。私が帰った後、Aliceから聞いた話で、夜になってその子が店の中の奥の方に隠れるのでどうしたのかと見ると母親が探しに来てたらしい。でAliceはそのまま自分のことに預かるって決めたそう。そんなの普通できないですよ。ましてお金持ちでもないのに。その子のほかにも2人(姉妹)自分の子でもないのに育ててますし。

私は「この子らの世話をしてくれ」ってチーフに言われた時も言葉に困ったし、子供がかわいそうって思ったけどどうしたらいいかわからんかった。責任逃れをしてた・・・情けなかったなぁ。

長くなりましたが、こんなAliceのような人に対して何かしてあげたいと思うたび自分の無力さに気づくのでした。
今回のことでこういう子供がたくさんいることに改めて気づいたし、学校に通わせてあげたい。2年間が終わるまであきらめないでトライする!方法はどこかにあるはずと信じて・・・

2012年5月22日火曜日

今日は記念日

ブログ書く気があるときにまとめて書きます。

今日のこの日は私の中で記念日になったと言ってもいいかもしれない。
ずっとあやふやだった(というか逃げていたのか)配属先との関係がきれいになった日。

 5月から今日まで行ってなかった配属先。
2週間あけてたのもあったけど、帰ってからもUPESIグループのところで毎日忙しくやっていたから。
今日はJICA、私、配属先マネージャー、UPESIグループとで話し合いをしたのです。内容は私の今後の活動について。
私自身、配属先はリチョタなのにUPESIばっか行っててどこかで申し訳ないという気持ちをもちながらやっていて、でも座っとくだけのために行くなんて考えられんかったし。配属先にこういうことやっていますって定期的に連絡するとかすればいいものの、話すのも生理的にも嫌になっていて無視し続けていた、なんとも大人とはいえないボランティアらしくない態度をとり続けていたのです。このままでいいや、自分のやりたいことやろって思っていたのですが今回こういう場を持つことになったのです。

先週金曜に決まり土日にプレゼンの用意、そして今日『今後の活動計画について』発表。
マネージャーも意外といい反応で、納得してくれた。

マネージャー自身もリチョタに私の仕事はないとわかってて、私のUPESIグループとやっていることを意味のあることだと認めてくれている。なぜなら大豆を農家に配るはいいけどマーケットがなかった&大豆の利用方法を知らなかったため、ミゴリで唯一大豆を扱っているUPESIの存在は大きい。その他にも私がやりたいと言ったことが配属先のやったことのないことなので新しい分野を広げていけるなら・・・要するに全体的にがんばれっていう感じでした。
毎月のレポート提出はすることになりましたが、何が変わったかというよりも気持ちの問題で、これですっきり頑張れる。住居の問題はまだマネージャーが本部と話し合う必要があるけれど、仕事のないそしてタウンから遠い(7km)リチョタで住むよりタウンで残りの任期すごせるといいなぁ。レポートで納得させるしかない。

先生になる

ちょっと最近の活動をお話しします。
最近忙しくて朝9時から家に帰ってくるのは19時過ぎ。一回体調崩したけど毎日が充実しています。

前回先輩隊員の任地であった相撲大会で子供たちと接する自信をもった私(笑)
UPESIグループがやっている学校で先生をすることになったのです。
子供たちはほとんどがOVC(Orphans and Vulnerable)。孤児または片親がいない、社会的弱い立場・傷付きやすい子供たち。学校には3歳から小学校2年生の子供が通っています。授業料1か月100シル。日本円で100円弱。それでも払えない、払わない家庭がほとんど。ミゴリで一番お金のない子たちが通う学校で、みんな制服もボロボロ・・・布キレみたいです。
今週で教え始めて3週間目。小学校1・2年を教えています。
まだちょっとしかたっていないけど先生ってすごくしんどいと実感しました。
先生をやっている協力隊のみんな尊敬します。
親の子供を預かるって・・・子供の将来がかかってるって・・・すごいプレッシャーだな~

私は人に教えた経験はありません。スワヒリ語もルオ語もいまだダメダメです。「ゆかりが先生!?アッアー!(うそだぁ)」ってよく言われます。他に雇われてる先生は一人います。ただ安月給のため長続きしない&教え方やる気ない人たちばかり。お金の問題はビジネスをよくさせることで解決できればと思う。先生の改革なんて思ってません。だって給料ほんま安いもん。
そんな中で子供に少しでもよりよい学びをという気持ちでやってます。ちょっとスパルタですけど・・・同じ小テストばっかやらせて体が覚えるまでさせるっていう。そしてがんばって満点とったらお菓子あげるーっつってお菓子でつるっていう。(でもこれがまた効果ばつぐん)ゲームとかもしますけどね。つらすぎて嫌いになっちゃこまるから。将来子供が生まれたら教育ママになりそうでこわい・・・・・・でも子供らも生易しい問題より難しい方がなにくそ根性出してくれるので(基本負けず嫌い)それがまたかわいい^^

12:30に学校が終わり、お店で学校の教材作ったり、お菓子・豆乳作ったり、商品開発なんたらしています。なので帰るの遅くなる。へたへたになって帰るけどでも楽しい。午前中は子供の笑顔、午後はお客さんの笑顔。雨季が終われば店の外に出て営業始めたいと思っています。やりたいことがたくさんでうれしい。